「20代で結婚した夫婦の3組に1組が、将来的に離婚する」。そんな衝撃的な推計(特定の集団を追跡した場合のコーホート離婚率 )が、現代の結婚観を揺さぶっています。その象徴として語られる「スマホ離婚」。しかし、スマートフォンは本当に離婚の根本原因なのでしょうか。
今回はこの「スマホ離婚」とはなんなのか、なぜこんなにも離婚率が高いのか。この問題の本質は、特定の世代の忍耐力の欠如などではなく、400年にわたる歴史的な構造変化の「論理的な帰結」であると分析されています 。現代の離婚の本質と、未来の結婚制度に求められる姿を読み解き、僕の個人的な体験を結論としてまとめていきます。
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スマホは「触媒」にすぎない。可視化される夫婦の亀裂
「スマホ離婚」とは、スマートフォンの利用が直接的・間接的な原因となって離婚に至る現象を指します 。しかし、これは全く新しい離婚原因ではありません。むしろ、古くから存在する夫婦間の問題が、テクノロジーという媒介を通じて「増幅・可視化」されたものだと解釈されています 。
例えば、夫婦のどちらかがスマホに没頭し、会話が失われる「情緒的ネグレクト」 。スマホゲームへの高額課金が家計を圧迫する「経済的対立」 。そして、SNSやマッチングアプリを通じた「不貞行為」 。
これらはすべて、かつては曖昧な「不信感」や「性格の不一致」として処理されていた問題です。スマートフォンは、それらを明確な「証拠」として可視化し、関係破綻を加速させる「触媒」として機能しているのです 。
結婚の目的が変わった。400年最大の「革命」
なぜ現代の夫婦関係は、こうした「不一致」によって破綻しやすいのでしょうか。その答えは、結婚の「目的」そのものの歴史的な変化にあります。
江戸時代、結婚の主体は「個人」ではなく「家」でした 。その目的は、恋愛や個人の幸福ではなく、「家」の存続、つまり跡継ぎや労働力の確保でした 。離婚は「離縁」と呼ばれ、夫(あるいは家長)が妻に一方的に「三行半」を突きつけることができました 。
明治民法下でも、「戸主」に絶対的な権限が与えられ、この「家」制度が法的に固定化されました 。
この400年の歴史において最大の「革命」が、戦後の日本国憲法の施行でした。憲法第24条は、「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立」し、「個人の尊厳と両性の本質的平等」に立脚するものと定めました 。
これにより、「家」制度は法的に廃止され 、結婚は「家」のためではなく、「個人と個人」が「個人の幸福追求」のために行うものへと、目的が180度転換されました 。
「幸福」のための離婚と、「家」制度の“残滓”
現代の高い離婚率は、この戦後の法制度が失敗した証拠ではなく、むしろ「個人の幸福」という目的に忠実に機能している証拠だと分析されています 。幸福を追求するための制度は、論理的に「幸福が失われた」時点(すなわち「性格の不一致」)でその存在理由を失うからです 。
この個人の選択を強力に後押ししているのが、世界的に見ても簡便な「協議離婚」制度です 。夫婦が合意して離婚届を提出すれば、理由を問わず離婚が成立します 。
しかし、法律が「個人」モデルに移行しても、人々の意識や社会通念には、江戸・明治時代から続く「家」モデルの“残滓”が強く残っています 。
法的には対等なパートナーであるはずなのに、現実の結婚生活では「嫁は夫の家に入るものである」という意識 や、家事育児は主に妻の役割であるという旧来の性別役割分業 が求められる。この「法律(個人モデル)」と「社会通念(家モデル)」との深刻な摩擦こそが、「性格の不一致」の最大の発生源となっているのです 。
「入口の罠」と「出口の常態化」
問題は「出口」だけではありません。結婚の「入口」である婚約制度が、将来の離婚の火種を抱えたままの婚姻を後押ししている側面もあります。
婚約は単なる口約束ではなく、法的な「婚姻の予約契約」として扱われます 。そのため、「気持ちが冷めた」 「他に好きな人ができた」 といった自己都合の理由で一方的に破棄すれば、慰謝料などの法的ペナルティが生じる可能性があるのです 。
この法的拘束力が、深刻な疑念を抱えたまま結婚へと進んでしまう「入口の罠」として機能している可能性が指摘されています 。
一方で、法制度自体は、もはや離婚を「予防」する段階にはありません 。こども家庭庁の資料 に見られるような、離婚後の財産分与の請求期間を2年から5年へ延長する改正案などは、離婚を「ありふれたライフイベント」であると国家が公的に認め 、その「事後処理」を円滑に管理する方向へシフトしていることを示しています 。
【コラム】制度から「対話」へ。僕が契約結婚を選ばなかった理由
ここからは、一連の分析を踏まえた僕個人の主観としての結論です。
現代の結婚は「国家が定めたパッケージ契約」 であり、婚約には法的な拘束力が伴います 。
僕はかつて婚約者と破局し、独身を選びました。その後、ある種の契約結婚を提案されたこともありましたが、それも破棄しました。
それは、「家」のため や「制度」のために不幸を耐え忍ぶ のではなく、真に「個人」として幸福であるために、お互いが何を共有し、何を許容し、何が許せないのか。そうした具体的な話し合いこそが、流動化する現代において関係性を築く上で最も重要だと、僕個人は結論づけています。制度に頼る前に、まず「個人」対「個人」 の対話を尽くすこと。それこそが、現代の結婚に求められている本質なのかもしれません。
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