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伝説の天皇賞・秋。ミルコ・デムーロの「下馬の敬礼」はなぜ私たちの心を震わせたのか? 〜歴史が語る「馬から降りる」という究極の敬意〜

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2012年10月28日、東京競馬場。第146回天皇賞(秋)は、日本の競馬史、いや、スポーツ史に残るあまりにも美しい名場面の舞台となりました。

この日は、当時の天皇皇后両陛下がご観覧される「天覧競馬」。特別な緊張感が漂う中、極限の上がり勝負を制して内から弾丸のように抜け出したのは、ミルコ・デムーロ騎手が手綱を取るエイシンフラッシュでした。

大歓声の中、見事な勝利を収めてウイニングランを終えたデムーロ騎手は、メインスタンドの貴賓席にいらっしゃる両陛下の御前で、ゆっくりと馬の歩みを止めました。そして、おもむろに馬からフワリと飛び降りると、右膝をターフにつき、左胸にヘルメットを当てて、両陛下に向けて深く首を垂れたのです。

本来、日本中央競馬会(JRA)のルールでは、レースを終えた騎手は検量室前まで「下馬してはならない」と厳格に定められています。しかし、この日のデムーロ騎手による最敬礼は、あまりにも純粋で美しく、特例として不問に付されました。スタンドからは割れんばかりの拍手が巻き起こり、テレビ中継を見ていた多くのファンが涙を流しました。

なぜ、「馬から降りてお辞儀をする」というシンプルな行動が、これほどまでに私たちの胸を打つのでしょうか。実は、人類の長い歴史を紐解くと、「馬に乗る」ことと「馬から降りる」ことには、命がけの深い意味が隠されているのです。

第1章:命がけの礼儀作法!日本の歴史を変えた「下馬」のドラマ

昔から、人間にとって「馬に乗る」ということは、単なる移動手段ではありませんでした。歩いている人よりも高い視線を持ち、圧倒的なスピードと力を持つ騎乗者は、それだけで「エラい人」「強い人」の象徴でした。だからこそ、自分より身分が上の人の前では、自ら地面に降り立つ「下馬(げば)」をすることで、「あなたには逆らいません」「心から尊敬しています」という絶対的な敬意を示してきたのです。

日本では、この「馬や乗り物から降りる・降りない」という問題が、何度も歴史を大きく動かしてきました。

nakayama hirotomo

夢破れたコンサル兼エンジニア。スタートアップ向けの記事からテック、エンタメ、不動産、建設、幅広く対応。

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たとえば平安時代の終わり。平清盛の孫である平資盛(すけもり)が乗った立派な車が、身分が上の貴族の行列と出くわしました。本来なら車から降りて道を譲るべきところを、「俺たちは飛ぶ鳥を落とす勢いの平家だぞ!」とばかりに無視して通り抜けようとしたのです。これに相手側がブチギレて資盛の車をボコボコに破壊。これをキッカケに平清盛が武力で大報復を行い、結果的に武士の時代が幕を開けることになります後に「殿下乗合事件」と呼ばれます。

戦国時代にも、恐ろしい事件が起きています。関東に進出してきた軍神・上杉謙信の就任式でのこと。名門の武将・成田長泰は「うちの家系は昔から、将軍の前でも馬から降りずに挨拶していいことになっている」というプライドから、謙信の前でも下馬せずに挨拶をしました。これに謙信は激怒。「私の前で降りないとは何事だ!」と、皆が見ている前で長泰の烏帽子(帽子)を扇で叩き落として大恥をかかせました。プライドをズタズタにされた長泰は謙信を裏切り、ドロドロの戦乱へと繋がっていきます。

さらに幕末の「生麦事件」も同じです。大名である島津久光の行列に対し、日本の「大名行列には下馬して道を譲る」というルールを知らないイギリス人観光客たちが、馬に乗ったまま近づいてしまいました。「殿様を見下ろすとは何事か!」と薩摩藩士が斬りかかり、これがなんとイギリスとの戦争(薩英戦争)にまで発展してしまったのです。

日本では、「馬から降りない」ということは、相手への完全な挑発であり、時には血を見るような大事件に直結するほど、重くセンシティブな行為だったのです。

第2章:世界共通のルール!神聖な場所と「馬から降りる」という掟

では、この「下馬」のルールは日本特有のものだったのでしょうか? いいえ、これは世界中どこでも共通する、人間社会の絶対的な掟でした。

例えばお隣の中国や韓国の歴史ドラマを見ていると、王宮や皇帝のお墓、孔子を祀るような神聖な建物の入り口に、「下馬碑(げばひ)」という石のカンバンが立っているのを見かけることがあります。

そこには「大小の役人、および一般の者、皆ここで馬から降りよ」と彫られています。これは「ここから先は神聖な場所だから、王族だろうが大金持ちだろうが、絶対に馬やカゴから降りて、自分の足で歩いて入りなさい」という国が定めた絶対のルールでした。もしこの下馬碑を無視して馬に乗ったままズカズカと入り込めば、厳しく罰せられ、最悪の場合は命を落とすこともありました。

ヨーロッパの騎士(ナイト)の世界でも同じです。王様が謁見する中庭などに、武装したまま馬に乗って乗り込むことは「反逆」を意味しました。王様の前で自ら馬を降り、膝をつくことは、「私はあなたに武器を向けません。私の命をあなたに預けます」という忠誠の証だったのです。

このように、古今東西を問わず、歴史上の「下馬」とは、「法律で決められているから」「殺されたり罰せられたりするのが怖いから」という強制力を持ったルールでした。「降りたくなくても、降りなければならない」のが、過去の歴史における「下馬」だったのです。

結論:デムーロ騎手が起こした、温かくて美しい奇跡

さて、2012年の天皇賞に話を戻しましょう。 JRAの競馬施行規定には、「騎手は入線後、後検量を終えるまで下馬してはならない(馬の故障などのやむを得ない場合を除く)」という厳格なルールがあります。これは着順確定の公正性を保つためのもので、もし違反すれば通常は過怠金や騎乗停止といった「処罰」の対象になります。

ここで、JRAは究極の選択を迫られました。

もしJRAがルールを厳格に適用し、デムーロ騎手を処罰していたらどうなっていたでしょうか。 世界中のメディアは、間違いなくこう報じたはずです。 「日本は、自国の天皇に心からの敬意を表した外国人騎手を、重箱の隅をつつくようなルールで処罰した」 「かつて、下馬しなかった外国人を斬り殺した国が、今度は自発的に敬意を示して下馬した外国人を罰するのか?」

これは単なるルール違反の処罰を超えて、国際的な「外国人差別」や「排他的なナショナリズム」の問題として炎上するリスクを孕んでいました。かつての生麦事件の記憶が残る中で、「外国人に日本独自の作法や敬意をどう扱わせるか」という問題は、極めて政治的に危険な領域だったのです。

しかし、デムーロ騎手の行動は、そうしたギスギスした政治的懸念をすべて吹き飛ばすほど、圧倒的に美しく、そして「自発的」なものでした。

彼は後に、「陛下が目の前にいらっしゃるのに、馬の上から見下ろすなんて、僕の教育(イタリアの騎士道精神)ではあり得なかった。どうしても馬から降りて、感謝を伝えたかった」と語っています。ルールを知らなかったわけではありません。ルールよりも、人間としての、そしてホースマンとしての「敬意」を優先させたのです。

JRAはこの事態に対し、「検量に支障はなかった」として処罰を行わないという、極めて異例の、しかし最高の英断を下しました。

もし、これが無理やり「降りろ」と言われて行ったものなら、それは前近代的な権力の強制であり、国際的な批判を浴びたでしょう。しかし、ミルコ・デムーロという一人の外国人が、日本の伝統や天皇陛下への深い愛着を抱き、自らの意志で膝をついたからこそ、それは「強制」ではなく「愛」によるパフォーマンスへと昇華されました。

この瞬間、かつて生麦事件で流された血や、下馬を巡る不吉な歴史の連鎖は、一本の美しい敬礼によって断ち切られたのです。

今はただの「美談」として語られるあのシーン。しかし、その背景には、一歩間違えれば「差別」や「国際問題」になりかねなかった危うい均衡がありました。その危機を救ったのは、デムーロ騎手の純粋な心と、その心を受け入れた日本人の柔軟な精神でした。

それこそが、あの日、東京競馬場のターフの上で起きた、最高に温かくて、そして最も美しい「奇跡」の正体だったのです。

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