現在、中国との「闘い」の主戦場は、LCDから有機EL(OLED)および車載ディスプレイ市場へと移行しています 444。しかし、これらの領域でも中国勢の猛追は熾烈を極めています。OLED市場の最大ボリュームゾーンであるスマートフォン向けでは、2025年上半期、BOE、Tianma(天馬)、CSOT(TCL)といった中国勢が、発光材料ベースのシェアで韓国を逆転するに至りました 555。
さらに、日本の「最後の牙城」とされてきたプレミアム車載ディスプレイ市場においても、2021年に50%超の圧倒的シェアを誇った日本勢(JDI、シャープ)は、2024年予測で韓国LGディスプレイに首位を奪われ、シェアを急落させています 666。
この状況下で、日本に残された道は「選択と集中」の徹底です 7。すなわち、中国の物量戦が通用しない、技術的障壁(エントリーバリア)が極めて高い分野での「一点突破」戦略です 8。
【表1:日本のディスプレイ産業が直面する構造転換】
日本のディスプレイ産業:構造転換の全貌
| 項目 |
かつての日本 (敗戦モデル) |
これからの日本 (生存戦略) |
| 主戦場 |
汎用LCD (テレビ・スマホ) |
車載・AR/VR 透明ディスプレイ |
| 競争優位 |
生産規模・品質 (すぐに模倣される) |
模倣困難な技術IP (eLEAP, Micro-OLED) |
ビジネス モデル |
自前主義 (国内工場で生産) |
水平分業 (技術提供+海外生産) |
| 対中戦略 |
物量戦で対抗 ▼ 敗北 |
ニッチ一点突破 ▲ 差別化 |
※表は横にスクロールできます
日本はもはや「量」で戦うことをやめ、革新的な技術IPのハブとして「価値」で勝負する「高付加価値技術ハブ」への戦略的転換を完了させつつあります 14。本稿では、この構造転換の全貌を詳細に解明します。
I. 日本のディスプレイ市場の「現状」:撤退と選択的集中の二極化
日本のディスプレイ産業の「現在地」は、コモディティ市場からの「敗戦処理」と、特定領域への経営資源の「全集中」という、二極化した現実によって定義されます 15。かつての主戦場であった汎用LCD市場での競争は終焉を迎え、各社は根本的な事業構造の変革を迫られています。
1.1. 「液晶(LCD)敗戦」の現実:構造改革とニッチ市場への退避
汎用LCDパネル市場は、中国政府の巨額の補助金 16を背景にしたBOEなどの大規模投資により、深刻な供給過剰と価格競争のレッドオーシャンと化しました 17。この「物量戦」において、民間企業である日本勢は競争力を維持できず、事業の縮小または撤退という「敗戦」の局面に至っています 18。
シャープの事例研究:ディスプレイ事業の構造的赤字と「終焉」
シャープの2025年度第2四半期(4~9月)の連結決算 19 は、日本のディスプレイ産業の現状を最も象徴的に示しています。
同社の連結営業利益は前年同期の4億円から289億円へと大幅に改善しました 20。しかし、このV字回復を牽引したのは「ブランド事業」(スマートライフ、スマートワークプレイス)であり、ディスプレイデバイス事業は依然として62億円の営業赤字(2025年度上期)を計上しているのです 21。
全社の収益改善に寄与したのは、ディスプレイ事業の成長ではなく、むしろ同事業の「縮小」です 22。具体的には、大型LCDパネルを生産していた堺ディスプレイプロダクト(SDP)の生産終息 23をはじめとする「アセットライト(資産の圧縮)」と構造改革、コスト削減の効果が反映された結果と言えます 24。スマートフォン向けパネルの終息や、車載向けパネルの駆け込み需要の反動減 25 が示す通り、シャープはディスプレイ事業を収益の柱から、整理・縮小すべきレガシー事業へと明確に再定義しました。
シャープの事例が示すのは、同社がもはや「ディスプレイ企業」ではなく、ディスプレイ事業の切り離しによって収益を確保する「総合電機・ブランド企業」へと変貌したという現実であり、これは汎用LCD市場における日本企業の完全な敗北を意味します 26。
京セラの事例研究:LCDの「もう一つの生き残り戦略」
一方で、すべての日本企業がLCDから撤退したわけではありません。京セラは、シャープが撤退した汎用市場とは対極にある「産業機器市場」に特化することで、LCD事業において独自の地位を確立しています 27。
【表2:日本企業のLCD市場における対照的な戦略】
日本企業のLCD市場における対照的な戦略
| 企業 |
ターゲット市場 |
戦略の方向性 |
提供価値 |
|
シャープ
|
汎用市場 (テレビ/スマホ) |
▼ 撤退・縮小 |
コスト競争力
(維持不可能と判断)
|
|
京セラ
|
産業機器 (医療/FA/建機) |
▲ ニッチ特化 |
高信頼性・長期供給
(15年以上の供給/長寿命)
|
※表は横にスクロールできます
京セラがターゲットとするのは、FA機器、医療機器、建設機械といった分野です 32。これらの市場で求められるのは、価格競争力ではなく、過酷な環境下での「高信頼性」と「長期供給性」です 33。京セラは、10万時間まで利用可能な長寿命バックライトの搭載 34や、使用部材を変更しながら15年以上にわたり標準品の供給を継続する 35 といった、コモディティ市場とは正反対の価値を提供しています。
この戦略的ポジショニングにより、京セラは中国勢の物量戦の影響を受けないニッチ市場を確保しています 36。
1.2. 高付加価値領域へのピボット:JDIとソニーの戦略
汎用市場での敗北を直視した結果、JDIやソニーといった他の日本企業は、価格競争とは無縁の「高付加価値領域」へと経営資源を集中投下しています 37。
ジャパンディスプレイ(JDI):イノベーションによる新カテゴリ創出
経営再建中のJDIは、汎用パネルの「スペック競争」から脱却し、技術的優位性を「独自機能」として提示する新カテゴリの創出に活路を見出しています 38。
その戦略は、2024年8月に発表された新製品群に明確に表れています。見る角度によって異なる2つの映像を表示する「2 Vision Display」 39や、タッチ操作した人を識別する「Double Touch」機能 40は、もはや従来のディスプレイの延長線上にはありません。これは、ディスプレイを「UI(ユーザーインターフェース)デバイス」として再定義する試みです 41。
さらに、JDIが開発した透明液晶ディスプレイ「Rælclear(レルクリア)」は、2025年11月13日の発表で、直視型カラーディスプレイとして世界トップクラスの透過率87%(非表示時)を実現しました 42。この技術は、単なる表示装置ではなく、対面コミュニケーションを支援する「透明インターフェイス」として製品化されています 43。
ソニー:超高精細デバイスによる「オンリーワン」戦略
ソニーは、テレビやスマートフォンといった汎用パネルの製造からは事実上撤退し、自らの技術が「絶対的な鍵」となる超高付加価値デバイスに特化しています 44。
その筆頭が、AR/VRデバイス向けの「OLEDマイクロディスプレイ(Micro-OLED)」です 45。Apple社の初代「Vision Pro」にソニー製 Micro-OLED が搭載されている 46事実は、この分野におけるソニーの圧倒的な技術的優位性を象徴しています。この市場は、パネルの「枚数」ではなく、デバイスの「戦略的価値」で評価されます 47。
【表3:JDIとソニーの高付加価値戦略比較】
JDIとソニーの高付加価値戦略比較
| 企業 |
注力領域 |
戦略の核 |
代表的な技術・製品 |
JDI (ジャパンディスプレイ)
|
UI/UX 透明市場 |
新カテゴリ創出
|
・透明液晶「Rælclear」
・2 Vision Display
|
ソニー (Sony)
|
AR/VR 放送局モニター |
オンリーワン技術
|
・Micro-OLED
(Apple Vision Pro搭載)
|
※表は横にスクロールできます
II. 中国との闘い:全面戦争から主戦場(OLED・車載)の攻防へ
日本と中国のディスプレイをめぐる「闘い」は、新たな局面に移行しています 52。LCDでの全面戦争は中国の勝利に終わり、現在は「スマートフォンOLED」と「車載プレミアムディスプレイ」という2つの高付加価値市場で、国家の威信をかけた激しい攻防が繰り広げられています。
2.1. 第1ラウンド:スマートフォンOLED市場の侵食
OLED市場は、長らく韓国(サムスンディスプレイ、LGディスプレイ)の独壇場でした 53。しかし、中国勢はLCDで成功した「国内の内需市場を基盤に出荷量を急速に増やす」 54 という戦略をOLEDでも忠実に実行し、勢力図を劇的に塗り替えています。
UBIリサーチの2025年上半期のOLED発光材料購入量の調査 55 によれば、この構造変化は決定的です。
全体市場(TV、IT、スマホ等含む)では、韓国メーカーが依然として59.9%のシェアを維持し、中国(40.1%)を上回っています 56。しかし、「スマートフォン用」発光材料市場という最大のボリュームゾーンに限れば、2025年に入り、中国のパネルメーカー(BOE, Tianma, CSOT)が四半期ごとに50%を超えるシェアを記録し、上半期全体で韓国を逆転しました 57。
2.2. 第2ラウンド:国家対企業の物量戦(中国の補助金政策)
中国勢の急速な台頭は、民間企業の努力のみならず、強力な国家支援に基づいています 58。中国政府は「旧製品から新製品への買い替え(以旧換新)」政策 59 を通じ、ディスプレイ産業に巨額の補助金を戦略的に投入しています。
2024年には、国家発展改革委員会が超長期特別国債を原資として、第3弾(690億元)、第4弾(10月予定、同規模)の特別資金を交付しています 60。この補助金は、単なる景気刺激策ではなく、明確な「産業政策」であり、特に「Mini LEDテレビ」など高付加価値製品の成長を強力に後押ししています 61。
業界の分析では、この政策支援により、2025年にはMini LEDテレビの出荷がOLEDテレビ(韓国LGの牙城)を大きく上回る「主力商品」になると予測されています 62。
2.3. 第3ラウンド:日本の牙城「車載ディスプレイ」での攻防
スマートフォンやTV市場を失った日本メーカーにとって、高信頼性が求められる車載ディスプレイ(特にLTPS TFT LCDなどのプレミアム市場)は、「最後の牙城」であり、JDIやシャープの収益を支える主要分野でした 63。しかし、この「聖域」が、わずか数年で崩壊の危機に瀕しています 64。
以下の表は、かつて日本が独占していたこの市場が、いかに急速に韓国・中国勢に奪われているかを示しています。
【表4:プレミアム車載ディスプレイ市場シェアの劇的な推移(2021年 vs 2024年予測)】
プレミアム車載パネル市場シェア(2021年 vs 2024年予測)
| メーカー |
2021年シェア (実績) |
2023年シェア (実績) |
2024年Q1 (予測) |
変化 |
LG Display (韓国)
|
20%未満 |
26.2%(1位) |
31.4%(1位) |
▲ 首位奪取 |
シャープ (日本)
|
21.5%(2位) |
2位 |
20.4%(2位) |
▶ 微減 |
JDI (日本)
|
30.7%(1位) |
3位 |
16.3%(3位) |
▼ 激減 |
BOE (中国)
|
1%台 |
5.7% |
N/A |
▲ 急増 |
※表は横にスクロールできます
2021年時点では、JDIとシャープの2社で市場の過半数(52.2%)を独占していましたが 65、2024年にはLGディスプレイ1社にシェアを逆転される見通しです 66。
この敗北の構造的要因は、市場の技術シフトにあります。車載ディスプレイ市場は、従来型のa-Si TFT LCDから、LTPS TFT LCDおよびOLEDへと急速に移行しています 67。本来、LTPSのパイオニアである日本勢に有利なはずでしたが、OLED技術で先行する韓国LG 68がこのシフトの勝者となりました。さらに後方からは、中国勢(BOE, Tianma)が猛追しており、日本勢は「前門の韓国(LG)、後門の中国(BOE)」という挟み撃ちにあっています 69。
III. 今後の展開:日本の「一点突破」戦略と次世代市場
セクションIおよびIIで浮き彫りになった絶望的なコモディティ市場の状況に対し、日本企業は「物量戦」を完全に回避し、技術的障壁が極めて高い特定分野での「一点突破」を図る戦略へと舵を切っています 70。
3.1. 日本の逆襲の切り札:「eLEAP」技術とグローバル・アライアンス
車載市場でのシェアを失いつつあるJDIにとって、起死回生の一手となるのが、次世代OLED技術「eLEAP」です 71。
eLEAP:OLEDの「第3の革命」
eLEAPは、従来のOLED(有機EL)の製造方法を根本から覆す、世界初の技術です 72。
【表5:従来型OLEDと次世代技術「eLEAP」の比較】
従来型OLED vs 次世代「eLEAP」技術比較
| 比較項目 |
従来型OLED (FMM方式) |
次世代 eLEAP (マスクレス) |
優位性のポイント |
| 製造プロセス |
メタルマスク(FMM) を使用 |
マスクレス フォトリソグラフィ |
高精細化が可能 マスク管理不要 |
発光効率 (開口率) |
約 28% |
約 60% (2倍以上) |
圧倒的な明るさを実現 省電力化 |
| 寿命・輝度 |
焼き付き課題あり 短寿命 |
輝度2倍 寿命3倍 |
車載に求められる 高耐久性をクリア |
| コスト |
洗浄工程などで 高コスト |
大幅削減 (ターゲット) |
プロセス簡素化による 競争力向上 |
※表は横にスクロールできます
この技術は、OLEDの最大の弱点であった「短寿命・焼き付き」を根本的に克服するものであり、特に高輝度と長寿命が求められる車載ディスプレイにおいて、競合に対する絶対的な優位性となり得ます 77。
「脱・自前主義」:JDIの水平分業アライアンス
JDIは、この革新的技術eLEAPを自社のみで抱え込む「自前主義」を完全に放棄しました 78。
2024年12月3日、JDIは台湾のInnolux(イノラックス)およびCarUXとの戦略的提携契約を発表しました 79。これは、JDIが「技術(IP)」を提供し、台湾勢が「生産能力」と「顧客アクセス」を提供するという「水平分業」モデルです 80。
この「日本(技術)+台湾(生産)+シンガポール(拠点)」という枠組み 81は、米中対立の中で欧米の自動車メーカーが求める「脱中国(チャイナフリー)サプライチェーン」のニーズに完璧に応えるものです 82。
3.2. 創出が求められる新市場:AR/VRと透明ディスプレイ
AR/VR市場とMicro-OLED:ソニーの「見えざる支配」
AR/VRスマートグラス市場は、2025年に500億ドル規模へと急成長が見込まれます 83。
この市場の「心臓部」である「OLEDマイクロディスプレイ」において、ソニーはApple Vision Pro(第1世代)への独占的供給者 84として、デファクトスタンダードの地位を確立しています。中国勢が「補助金」や「物量」で模倣することが最も困難な分野で、ソニーは最強の「ゲートキーパー」となっています 85。
透明ディスプレイ市場:「JDI(液晶) vs LG(OLED)」
もう一つの新市場が「透明ディスプレイ」です。ここでも日韓の技術的なアプローチが分かれています 86。
【表6:透明ディスプレイ市場における日韓の技術対決】
透明ディスプレイ市場における日韓の技術対決
| 比較項目 |
JDI (日本) [液晶陣営]
|
LG Display (韓国) [有機EL陣営]
|
| 採用技術 |
透明液晶 (LCD) |
透明有機EL (OLED) |
| 主要製品/展示 |
Rælclear (レルクリア) |
トヨタ紡織等の展示に採用 |
| 性能の強み |
透過率 87%
▲ 世界トップクラス
|
高コントラスト
(自発光特性)
|
| 戦略 |
液晶の極限進化による 市場復権 |
OLED技術の 横展開 |
※表は横にスクロールできます
JDIは、自社の成熟技術である「液晶」の新たな可能性を示し、OLEDに対する技術的優位性(高透過率、コスト)を確立しようとしています 92。
IV. 総括と戦略的提言
4.1. 結論:日本は「総合ディスプレイ大国」から「高付加価値技術ハブ」へ
本レポートの分析から導き出される揺るぎない結論は、日本がかつてのように汎用パネルの「量」で世界を席巻することは不可能であるという点です 93。
シャープの構造改革 94や車載市場でのシェア急落 95 は、コモディティ市場が「国家間の総力戦」に変貌した現実を示しています。
この現実に対し、日本は「量」を追うことをやめ、他国が模倣できない革新技術(IP)を開発・提供する「高付加価値技術ハブ」として生き残る道筋を選びました 96。
- JDIのeLEAP: 技術IPに特化した「水平分業モデル」への移行 97。
- ソニーのMicro-OLED: AR/VRの「技術的チョークポイント」を独占する戦略 98。
- JDIのRælclear: 「透明ディスプレイ」という「新市場の創造」 99。
4.2. 戦略的提言:アライアンスの拡大と「脱・自前主義」の徹底
以上の分析に基づき、日本のディスプレイ産業が今後取るべき戦略として、以下の3点を提言します。
- 提言1:eLEAPアライアンスの拡大と「脱中国」サプライチェーンの確立 100JDIと台湾勢のような「水平分業」モデルを積極的に推進すべきです。特に車載分野において、「非中国系」アライアンスは欧米顧客にとって強力な競争優位となります 101。
- 提言2:経営資源の「選択と集中」の徹底 102中国の補助金政策が支配するMini-LED(TV)やスマホOLED市場でのシェア奪還は目指すべきではありません 103。経営資源は、「車載」「AR/VR」「新規UI」という、コモディティ化しにくい分野に全集中させるべきです 104。
- 提言3:戦いの定義の変更 105今後の戦いは、「パネル出荷枚数」ではなく、いかに高い「技術的付加価値」を提供しエコシステムの主導権を握れるかという「価値(バリュー)のシェア」をめぐる戦いです 106。日本は、この新たな戦いにおいて、再び主導権を握るポテンシャルを十分に有しています。
JDI「eLEAP」・透明ディスプレイ・アライアンスについて
車載ディスプレイ予測・ソニーMicro-OLEDについて