かつて「ジャパン・パッシング(日本素通り)」と揶揄された列島に、今、静かに、しかし巨大な地殻変動が起きている。円安を嘆く声の裏で、したたかに動き出した「新たな国富論」。それは、製品を売って外貨を稼ぐのではなく、米国の巨大資本を日本へ「吸い込む」という、パラダイムシフトだ。
序章:失われた30年へのアンチテーゼ
「日本で作って、世界で売る」。
戦後日本が信じて疑わなかったこの成長モデルに対し、強烈なアンチテーゼを突きつけているのが、DeNA会長でありデライト・ベンチャーズを率いる南場智子氏だ。
彼女の提唱する「米国の資金、国内新興に引っ張る」というドクトリンは、従来の「海外進出」とは決定的に異なる。日本企業がシリコンバレーへ出ていくのではない。シリコンバレーの莫大なリスクマネーを、日本のスタートアップのエクイティ(資本)に直接注入させる——いわば「資本の逆輸入」である。
なぜ今、この戦略なのか。背景にあるのは、日米間に横たわる絶望的なまでの「リスクマネー供給量」の格差だ。日本には銀行預金という「Cash」はあっても、ユニコーンを育てるための「Risk Capital」が欠乏している。一方で米国には、投資先を求めて彷徨う巨額のドライパウダー(待機資金)がある。
南場氏の構想は、この両者を接続し、日本の技術と人材をテコに、米国の資本を吸い上げるポンプを構築することにある。
南場ドクトリンの深層:「呼び水」としてのベンチャー・ビルダー
南場氏の戦略が画期的なのは、単なるスローガンに留まらず、「デライト・ベンチャーズ」という実行部隊を通じて構造的な実装を行っている点にある。
- 「DelightX」という名のポンプ
2025年春から始動する「DelightX」プログラムは、その象徴だ。日本の起業家をサンフランシスコに物理的に送り込み、現地でのコミットメントを証明するための資金(最大6万ドル)を提供する。
重要なのは、このプログラムのゴールが「デライトからの追加出資」ではないことだ。明確なKPIは「米国のトップティアVCから次回ラウンドを調達すること」にある。デライトの資金は、あくまで米国の巨大資本を呼び込むための「呼び水(Pump Priming)」に過ぎない。 - DeNAという「最強のファースト・クライアント」
海外投資家が日本のスタートアップへの投資を躊躇する最大の理由は、「日本市場での検証」が見えないことだ。そこでDeNAは、「DeNA ver.2.0 ‘AI’ For & With Startups」として、自らが最初の顧客となり、トラクション(実績)を作る戦略をとる。
「DeNAが採用した技術」という事実は、海外投資家に対するデューデリジェンス(DD)のハードルを劇的に下げる。これは、事業会社(CVC)だからこそ可能な、極めて実務的な「誘引」戦術である。
「Sakana AI」が証明した、日本法人の勝機
この「資本誘引」戦略が、単なる机上の空論ではないことを証明したのが、生成AIスタートアップ「Sakana AI」の衝撃的な資金調達だ。
シリーズBで約200億円を調達し、評価額4000億円に達した彼らは、Khosla VenturesやNEAといった米国の超一流VCに加え、三菱UFJ銀行やNTTといった日本の巨大企業を株主名簿(Cap Table)に並べた。
ここで注目すべきは、彼らが「デラウェア・フリップ(米国法人化)」を行わず、日本法人(KK)のままでこれを成し遂げた点だ。
なぜ彼らは日本を選んだのか?
Sakana AIが掲げたナラティブは「ソブリンAI(Sovereign AI)」だった。
米中対立が深まる中、米国投資家にとって、同盟国である日本の自律的な技術基盤に投資することは、地政学的なリスクヘッジになる。さらに、日本は著作権法がAI学習に柔軟であり、訴訟リスクが低いという「制度的優位性」も味方した。
Sakana AIは、「米国企業になる」ことではなく、「米国の同盟国における支配的プレイヤーになる」ことが、最も効率よく米国資本を引き寄せる磁石になることを証明したのだ。
次に続くのは誰か? ポストSakana AIの候補たち
では、南場ドクトリンやSakana AIの成功に続き、どのような日本企業が「グローバル資本の爆買い」の対象となるのか。レポートの分析から浮かび上がるのは、2つの明確なアーキタイプ(原型)だ。
- 「国策ディープテック」群:Spiberとその追随者たち
Sakana AIと同様、「技術的優位性」と「国益(ソブリン)」を掛け合わせた領域だ。
筆頭候補として挙げられるのは、構造タンパク質素材のSpiberだ。彼らはすでにCool Japan Fund(官民ファンド)と高度な資本再編を行い、優先株を活用してダウンサイドリスクを制御している。
素材、宇宙、バイオ、半導体。これらの分野は国家戦略と直結するため、日本の政府系ファンドの支援(補助金やJICの出資)をレバレッジに、米国のディープテック投資家を呼び込む構造が作りやすい。彼らにとって日本は、もはや「市場」ではなく「安全な研究開発拠点(R&D Hub)」として機能する。 - 「カルチャー・アービトラージ」群:Utaiteが見せた新境地
もう一つの勝ち筋は、日本独自の文化的資産(IP)だ。
2.5次元IP事務所のUtaiteは、中国のTencentなどから77億円を調達した。これは、単に日本のコンテンツが人気だからではない。Tencentのような巨大プラットフォーマーが、自社の流通網に乗せる「源泉」を求めているからだ。
アニメ、ゲーム、VTuber産業において、コンテンツそのものを輸出するのではなく、「IPを生み出すシステム(企業)」に海外資本を受け入れる。これにより、日本企業は海外の巨大な流通網を手に入れ、海外投資家は代替不可能な「日本のアセット」を手に入れる。この相互依存関係を築ける企業が、次のユニコーンとなる。
結び:「J-Global」という新たなOS
2025年の税制改正により、創業者の海外転出にかかる「出国税」の壁も取り払われつつある。あおぞら銀行などが主導する「ベンチャーデット」の普及により、株式を希薄化させずに数十億円を調達する手法も整った。
外堀は埋まった。
もはや「日本市場で上場してから海外へ」という順序は過去のものだ。
南場智子氏が描く未来、そしてSakana AIやSmartHR が実践する現在進行形の戦略。それは、日本の法制度や技術、文化という「土壌」を守りながら、その果実を育てるための「肥料(資金)」を世界中から貪欲に取り込む、ハイブリッドな「J-Global」モデルの確立である。
日本経済復活の鍵は、輸出統計の中にはない。株主名簿(Cap Table)の中にこそ、その答えがある。