かつて世界を席巻した日本のディスプレイ産業は今、歴史的な岐路に立たされています 1。中国の国家主導による巨額の補助金と物量攻勢を受け、汎用(コモディティ)市場での「敗戦」は決定的となりました 2。
しかし、日本の挑戦は終わっていません。汎用市場から潔く撤退・縮小する一方で、特定の高付加価値領域では「一点突破」ともいえる生存戦略が加速しています 3。本稿では、提供された分析レポートに基づき、各市場における日本、中国、韓国の戦略を徹底的に比較分析します。
JDIの財政と本記事詳細レポートを読みたい人は下記をどうぞ時間がある時にお読みください。
1. LCD(液晶)市場の二極化:「撤退」するシャープと「退避」する京セラ
最初の比較軸は、日本の「液晶(LCD)敗戦」の現実です 4。
シャープ:「ディスプレイ企業」からの転換
汎用LCD市場は、中国勢(BOEなど)の大規模投資により、深刻な価格競争のレッドオーシャンと化しました 5。この物量戦の結果、シャープはディスプレイ事業において構造的な赤字を抱えることになりました 6。
同社の2025年度上期の連結営業利益は大幅に改善しました 7。しかし、その要因はディスプレイ事業の成長ではなく、むしろ同事業の「縮小」です。ディスプレイデバイス事業は依然として62億円の営業赤字(2025年度上期)を計上しており 8、大型LCDパネルを生産した堺ディスプレイプロダクト(SDP)の生産終息 99や、スマホ向けパネルの終息 1010が示す通り、シャープはディスプレイ事業をレガシー事業へと再定義し、「総合電機・ブランド企業」へと変貌したのです 11。
京セラ:「高信頼性ニッチ」への退避
一方で、京セラは全く異なる戦略でLCD事業を維持しています。京セラが狙うのは、FA機器や医療機器といった「産業機器市場」です 12。
この市場で求められるのは価格ではなく、過酷な環境下での「高信頼性」と「長期供給性」です 13。京セラは、10万時間利用可能な長寿命バックライトの搭載 14や、15年以上の長期供給を継続する 15ことで、中国勢の物量戦が通用しないニッチ市場を確立しています。シャープが汎用市場から「撤退」したのに対し、京セラは高信頼性BtoB市場へ「退避」し、確固たる地位を築いているのです 16。
2. 主戦場の攻防:「OLED」と「車載」での日中韓の激突
戦いの主戦場は、LCDから有機EL(OLED)と車載ディスプレイ市場へと移行しました 17。しかし、ここでも日本の苦戦は鮮明です。
スマホOLED市場:中国が韓国を逆転
OLED市場の最大のボリュームゾーンであるスマートフォン向けにおいて、地殻変動が起きています。2025年上半期、OLED発光材料の購入量(スマートフォン用)において、BOE、Tianma(天馬)、CSOTといった中国勢が、四半期ベースで50%を超えるシェアを記録し、韓国メーカーを逆転しました 18181818。BOEはサムスンディスプレイを猛追しています 19。これは、JDIが次世代OLED「eLEAP」でこれから参入しようとしている市場が、すでにレッドオーシャンであることを示しています 20。
車載市場:日本の「牙城」の崩壊
日本勢にとって「最後の牙城」とされてきたのが、プレミアム車載ディスプレイ市場でした 21。2021年時点では、JDI(30.7%)とシャープ(21.5%)の日本2社で市場の過半数(52.2%)を独占していました 。
しかし、この牙城はOLED化の波に乗る韓国LGディスプレイの猛攻で崩壊しています 23。
- 2023年(実績): LGディスプレイがシェア26.2%で首位に浮上し、日本勢は2位(シャープ)、3位(JDI)に転落しました 242424。
- 2024年Q1(予測): LGが31.4%へシェアを拡大する一方、JDIは16.3%へと急落する見通しで、わずか数年でシェアは半減することになります 25。
この敗因は、市場がOLEDへと技術シフトする中で、OLED技術で先行する韓国LGに主導権を奪われたことにあります 26。さらに後方からは、中国BOE 27やTianma 28が猛追しており、日本勢は「前門の韓国(LG)、後門の中国(BOE)」という挟み撃ちにあっているのが現状です 29。
3. 未来戦略の分岐:「物量」の中国 vs 「IPハブ」の日本
絶望的なコモディティ市場に対し、日本企業は「物量戦」を完全に回避する戦略へと舵を切りました 30。
中国:国家支援による物量戦略
中国は「旧製品から新製品への買い替え(以旧換新)」政策 31や超長期特別国債を原資とする巨額の補助金 32を投じ、自国メーカー(TCL、海信など)が強い「Mini LED」テレビ市場を強力に後押ししています 33。これは、技術競争の前に「国家政策」という巨大な壁が立ちはだかることを意味します 34。
日本(JDI):技術IPと「水平分業」アライアンス
シャープがディスプレイ事業で赤字を計上する 35一方、同じく「経営再建中」 36であるJDIも、車載市場でのシェア急落 3737という厳しい現実に直面しています。この苦境の中、JDIが起死回生の一手として開発したのが、次世代OLED技術「eLEAP(イーリープ)」です 38。
eLEAP技術とは?
eLEAPは、従来のOLED製造方法を根本から覆す、世界初の技術とされています 39。
- 技術革新(マスクレス): 従来のFMM(ファインメタルマスク)を用いず、「マスクレス蒸着」と「フォトリソグラフィ方式」を採用します 40。
- 圧倒的な性能: 発光効率(開口率)が従来の2倍以上(60%近く)に向上 41。これにより「輝度2倍、寿命3倍」という圧倒的な性能を実現します 42。
- 弱点の克服: OLED最大の弱点であった「短寿命・焼き付き」を根本的に克服し 43、特に車載市場での優位性が期待されます 44。
- コスト優位性: 生産プロセスが簡素化され、生産コストを約30%削減できると試算されています 45。
【eLEAP戦略への「疑問符」】
しかし、ここで大きな疑問符がつきます。eLEAPは確かに革新的ですが、JDIは経営再建中 46 であり、その限られた財務体力でこの「起死回生の一手」に投じるコストと、そのリターン(効果)は本当に見合っているのでしょうか。
期待のeLEAPが参入すべきスマホOLED市場は、すでに中国勢が席巻するレッドオーシャンです 47。主戦場と目される車載市場でも、OLED化で先行する韓国LG 48や猛追する中国勢 49との激しい競争が待っています。この状況下で、技術ライセンス 50 という「ファブライト・モデル」が、巨額の赤字を解消し企業を再生させるほどの力を持つのか、その実現性には依然として厳しい視線が向けられています。
JDIが2024年12月3日に発表した台湾InnoluxおよびCarUXとの戦略的提携 51は、まさにこの疑問に対するJDIの「答え」です。自らの財務的限界 52を直視し、巨額の設備投資リスク 53 を負う「自前主義」を完全に放棄したのです。
- JDIの役割: 「eLEAP」技術と「バックプレーン技術(HMO)」という中核IP(知的財産)の提供 54。
- Innolux/CarUXの役割: 「大規模な生産能力」と「グローバルな顧客へのアクセス」の提供 55。
この「日本(技術)+台湾(生産)」 56という枠組みは、欧米の顧客が求める「脱中国(チャイナフリー)サプライチェーン」のニーズに応える 57 合理的な戦略ですが、その成否はまだ未知数です。
日本(ソニー):「オンリーワン」による市場独占
ソニーは、汎用パネルから事実上撤退し 58、AR/VRデバイス向けの「OLEDマイクロディスプレイ(Micro-OLED)」に特化しています 59。Appleの初代「Vision Pro」にソニー製が搭載されている 事実は、この次世代プラットフォームの「目」という最重要コンポーネント市場を独占していることを示しており 61、これは中国の物量戦が及ばない「技術的チョークポイント」を押さえる戦略です 62。
結論:「総合大国」から「高付加価値技術ハブ」へ
日本のディスプレイ産業が、かつての「総合ディスプレイ大国」という栄光の座に返り咲くことは、もはやないでしょう。シャープの汎用市場での敗北 636363、車載市場でのシェア急落 646464、そして中国の国家的な物量支援 65 が、その現実を明確に示しています。
日本に残された道、それは「製品(パネル)」の生産量で世界と競う(=量・シェア)という、かつての主戦場から完全に撤退することです 66。
そして、JDIのeLEAPアライアンス 67やソニーのMicro-OLED独占 68に見られるように、他国には決して描けない革新的な「設計図(=技術IP)」そのものを生み出し、世界に供給する「高付加価値技術の源流(ハブ)」へと、その姿を戦略的に変えることです 69。
日本は、生産の「総量」で覇権を争う消耗戦の土俵を、潔く降りました。
今、私たちが立っているのは、技術という「設計図」からどれだけ高い「価値(利益率)」を生み出し、未来の市場という「建物」そのものを定義する主導権を握れるか、という新たなゲームの舞台なのです 70。